daily thinking running

86世代として日々想い、走る日々。

必死でいることは格好いいことである

29歳になりました。これまで誕生日や入社月などには節目として仕事のことを書くようにしていましたが、僕にとって、29歳というのはとても大切な年齢です。すこし、昔の話をしようと思います。具体的に何歳だったか、記憶は定かではありませんが、中学生の頃に、1冊の本を読みました。

 

その本は「聖の青春」と言います。夭折の天才棋士村山聖さんの生涯を描いた作品です。村山さんは僕が生まれた1986年にプロ棋士になり、その後、羽生世代として大活躍された方です。5歳で腎臓の難病「ネフローゼ症候群」が発覚し、以降、将棋とともに生き、最終年には将棋のトップリーグA級に在籍したまま、29歳で逝去されました。対局日と対局日の合間に、持病により身体が動かなくなり、布団に包まりながら、水道から少しだけ垂らした水の音で「生」を感じるという描写に、中学生ながらに「なんて熱意、なんて必死なんだろう」と感嘆したことを覚えています。読み終えた際は、涙を流し、貸してくれた母に感謝をしていました。

 

その29歳という年齢を迎えました。まだ私は元気に生きています。この本と出会ってから、私は人生を自分自身で選び、常に必死になって懸命になって生きていくことを大事にするようになりました。言葉で言えば、陳腐な表現なのかもしれません。でも、僕は必死であることを格好良いことだと思っています。

 

私の父は、早くに祖父を亡くし、よく口癖として40歳で死ぬ、若くして死ぬ家系なんだと言っていました。それもあって、趣味のカメラに没頭しながらも、仕事も大変頑張っていて、小さい頃に父に遊んでもらった記憶は余りありません(私も熱心に部活をしていた)。子どもながらに趣味に仕事に真剣に生きる父親を素直に尊敬していたように思います。大きくなったら自分も何事にも真剣に後悔のないように取り組もうと思ったことを覚えています。

 

29歳まで必死に生きることができたと今この瞬間に充足感が有ります。次は父が大事にしていた40歳に向けて、これからも必死になって生きていこうと思います。父は60歳を超えて今年も元気に暮らしています。とても濃い60年間で毎年のように変化があって、真剣に過ごしたかいのある人生なんだろうなぁと思います。父と話して、人生に対する後悔のようなものを感じたことがありません。おそらく私の楽観主義者な部分は、こういう父の性格を受け継いだことが大きいように思います。

 

必死でいることが格好悪いという話もあるかもしれません。よりスマートであることも憧れるスタイルの1つです。でも、私の人生に大きな影響与えたもう1つの作品である「プラネテス」というマンガに以下のような1節があります。

 

雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。それが自由というものだ。

 

 

誰かや過去や現実が決めたルールではなく、自分自身が決めたルール「必死でいることは格好いいことである」を守っていく自由は僕の心にあるはずです。先日、僕の中で遠い目標として影響を受けていた任天堂の岩田社長が逝去されました。岩田社長は「ゲーム人口の拡大」(ゲーム市場の拡大ではないことにロマンを感じます)という大変大きな目標に向って、さまざま必死に施策を打たれていたように思います。任天堂ダイレクトや株主説明会や社長が訊くなど多くの場面で、愚直に泥臭く、そして、とても丁寧にゲーム人口の拡大という大きな目標に向けて動かれていたと考えています。まさに「夢のような大きな目標に向けて、必死でいることは格好いいことである」と感じました。

 

29歳を迎え、また次の節目に向けて、これまで通り、必死に頑張っていこうと思います。