daily thinking running

86世代として日々想い、走る日々。

お父さんの退官

我が家では、「おとん」「おかん」と呼ぶと僕の両親、「お父さん」「お母さん」と呼ぶと奥さんの両親というふうに呼び分けている。それぞれの家庭でなんて呼んできたかというのを引き継いでいる。

僕のおとんとおかんは、まだ働いているけどいわゆる再雇用というのもので、40年以上勤め上げた1社目は5年以上前に定年を迎えている。その時には、おとんもおかんも趣味の時間が増えるんだろうなと思って、素直に「お仕事お疲れさまでした」と伝えた記憶がある。

おとんにとって「仕事と趣味」は、同じくらい大事なもので両方頑張っているのがとても印象に残っている。今は趣味で続けていた写真で個展を開いたり、展覧会の審査員をやったりと、とても充実しているように見える。それでも、仕事は大変そうな時期もあったし、おかんから、「仕事でこういうつらいことをやらないといけなくて、お父さんも悩んでるみたいだよ」と高校生や大学生の頃に聞いて、写真ばっかり撮ってる人ではないんだなと思った記憶があります。だからこそ、定年を迎えたおとんとおかんは、これからの人生を応援しようと思った記憶があります。

 

さて、今年の3月にお父さんが退官になりました。33年親子をやってきたおとんとおかんと比べて、お父さんとはまだ10年くらいしか親子をやっていません。また、一緒に暮らしたことがあるわけではなくて、九州と京都と遠く離れて暮らしています。それでも子どもたちにとっては、大好きなお祖父ちゃんであり、いつもTV電話越しに会話しています。僕にとっても、そこまで遠い存在ではなく、10年くらいの付き合いもあって、お父さんという感覚があります。

 

そんなお父さんが退官になりました。おとんの時に感じた、「お疲れさまでした。写真楽しんで!」みたいな気持ちともまた違った気持ちを覚えました。

 

「退官したからこそ、色々とお父さんの仕事人生について色々と聞いてみたい」

 

なぜか、おとんのときよりもお父さんのときのほうが、それまでの人生についてとても興味を持ったのです。もちろん、ミステリー・刑事ドラマが好きな僕にとって、お父さんが警察官であることは影響している部分もあると思います。ただ、それ以上に高校を卒業後に警察官になり、最終的には大きな警察署の署長や部長などを歴任してきたお父さんが仕事上で大事にしていたことや家族とどう触れ合ってきたのかなどいろんな質問が浮かんできたのでした。

 

妻に今度の3月にお父さんが退官になると聞いたときは、「お疲れさまでした」と素朴に感じていたのですが、実際にその日を迎えてお父さんとTV電話越しに会話したときにはまた違う感情が湧いてきて、非常に不思議な気持ちを持ちました。掘り起こしてみると、趣味と仕事を大事にするおとんを尊敬する気持ちもありますし、10年の付き合いでしかないですが仕事人・公職者として勤め上げたお父さんの警察官人生に対しても強い敬意を抱いているんだなと。

 

僕にとっては、たくさんの尊敬する先輩がいてその人々から様々な影響を受けています。でもその中でも、おとんとお父さんが僕の仕事感や父親感に与えた影響は大きく、かけがえのないものなのだなと思っています。警察官はとても大変なお仕事で、休みに遊びに行っても仕事の電話がかかってくることもしばしばでした。退官されたらその電話もきっとなくなるのでしょう。お父さんの仕事を気にせずに飲みに行ったり、遊びに行けたりする機会が今後は増えていくのでしょう。楽しみです。

 

遠く離れた京都からの挨拶になりますが、「お父さん、退官おめでとうございます。2番目の息子は、退官したからこそお父さんに職業人生の話をいっぱい聞いてみたいと思っています。美味しいお酒お持ちします。これから、よろしくお願いします!」

 

小さなラブレター

妻と結婚してからは7年経ちました。そんな妻に向けて小さなラブレターを書こうと思います。来週妻が誕生日を迎えるので、その日に向けて書いていこうと思ったのですが、妻の誕生日を公にする意味もないかなと思ったので、すこしだけ早く書いてみます。

 

僕は自分のことを人見知りだなと思うことがあります。仕事柄、そんなことはないでしょうといわれることも多いのですが、きっと妻は納得してくれるはずです。妻が知っている僕は、社会の中に存在する自分とはきっと違っていて、きっと妻にしか見えない僕という像があると思っています。

 

僕は人見知りをするので、生の感情を表に出すことがあまりありません。たとえば「嬉しい」「かなしい」「おもしろい」、そういう感情は妻と一緒にいるときにだけ表に出てくるもののような気がしています。

 

僕は家に帰るとすごく無口です。社会に出ている間はよく口が動きます。でも家では無口です。自分のことに時間を使っているからというのもありますが、きっと妻と何を話せばいいのか、すこし照れているからな気がしています。妻は僕が無口でも、なにか声を出した時は、どんな時でも必ず話を聞いてくれます。

 

僕は人の目を見て話すのが苦手です。たぶん、僕と目を合わせて話したことがあると感じる人はとても少ないと思います。僕がずっと見て話せるのは妻くらいです。7年たって、やっとできるようになりました。

 

僕は気分屋なので、引越しが大好きです。転職もすでに2回、転居もたくさんしてきました。はたまた東京から京都まで引越しています。どうかなぁと提案すると、きっと妻はいろいろ思って、考えてくれているのですが、いつも僕のやりたいことを大切にしてくれています。僕にはこれは真似ができません。

 

僕はあまり妻に感謝することができません。真面目に言っているつもりでも、すこしふざけてしまうこともあって、昔はなかなか伝わることがありませんでした。今となっては少しだけですが、伝わっている気もするのですが、まだ自分の感情がすべて届いているということではないだろうなと思っています。たぶん、態度や行動に表れていないからもしれません。

 

僕は、人見知りで、感情を表に出せず、無口で、人の目を見て話せません。そしてとても気分屋で妻に感謝することができません。だから、小さなラブレターをブログで書いてみようと思いました。ブログでなら、もしかすると、人見知りをせず、感情を表に出し、雄弁に、妻に向けて、まっすぐに感謝することができる気がしています。

 

「ありがとう」「また来年もよろしくお願いします」「お誕生日おめでとう」

 

 

 

小さな世界を大事にして、宝物を増やしてほしい

ふと思い立って、できるだけ毎年娘に向けてブログを書いてみようと思います。本当は誕生日に書きたかったのだけど、誕生日の前日に新サービスのリリースがあり、多忙により、実現できませんでした。とまれ、書いていくことには意味があると思うので、そのくらいに緩い気持ちで書きたいと思います。

 

2018年4月に小学校と幼稚園に入りました。幼稚園の間はそこまで強く感じなかったのですが、小学校に入ったときに「教室という小さな世界を大切にしてほしい」と、ふと思ったことがあります。

 

幼稚園の年少では、先生と園児という関係が中心でまだまだ園児同士の関係性は小学生に比べて緩いと思います。年中、年長と大きくなっていくにつれて、そのつながりは強くなっていくと思うのですが、僕自身は父親としてそこまで意識したことはありませんでした。それはもしかすると僕に幼稚園の時期の記憶がもうないだけかもしれません。というのも教室という空間に入るとやはり懐かしいという気持ちになり、とても良い思い出も数々覚えているので、この小さな教室という世界を大事にしてほしいなとふと感じたからです。

 

僕は田舎の町に生まれて、4年前までは東京で10年すごし、そこから京都で4年過ごしました。東京だけではなく京都も都会ですし、自分が暮らした田舎とはまた違う世界だとは思います。特に田舎にはない社会や世の中との接点が多いとも感じています。多くの場合、狭いよりは広い方が良いとされることが多いと思っています。ただ、だからといって小学生や幼稚園のうちから、広い世界とつながっていること「だけ」が重要とは感じていません。

 

小さな世界を大事にして、その世界の中にある宝物にも気づいてもらいたいと思っています。大学生になるまで田舎で暮らした日々でしたが、今都会に出て15年近くなっても、田舎の良さを大切に感じていますし、その多くの部分は自分が過ごした小さな世界の中にあったように感じています。インターネットがあって、車・電車・飛行機と交通手段の充実もあって、外の広い世界との接続も簡単になってきました。その有り余る好奇心を外に向けて充実した日々を過ごす未来も楽しみにしています。

ただ、その一方で小さな世界の中にある宝物を大事にして、少しずつ少しずつ自分自身の中に様々なものを詰め込んでいってほしいとも思っています。教室の中で起きる日々の事件に驚きながら、狭い教室の世界がもしかしたらTVドラマの世界かもしれない。大人になったときに小さなことを小さく大事に思えるように、日々目の前にあることに敏感に楽しんでほしいなぁと思っています。

 

いつか娘たちがこのブログを偶然読んだ時に、種明かしになったらよいなぁと思って、これからの1年娘たちと会話していきたいと思います。また来年も書こう。

妻と子ども2人で地元から離れて京都で暮らす、はてなのディレクターの話

※この記事ははてなスタッフアドベントカレンダー2015の12月14日の記事です。前回は id:AirReader さんの釣り部活動について - 日直地獄 こちらの記事でした。

 

はてなスタッフアドベントカレンダーということで、はてなで働く父親ディレクターとしての感想を書いてみようと思います。はてなに入社するのに合わせて、京都に引っ越してきたのですが、京都が便利だという話は以下のエントリをご参考下さい。

 

jusei.hatenablog.com

 

 私の地元は富山で、妻の地元が長崎です。一人目の子どもが生まれた時は東京で暮らしていたので、地元から遠く離れて育児をするということが前提で育児をしてきました。その経験について、少し紹介してみようと思います。

 

育児をするにあたって、いくつか変数があると思います。大きなものとして「1.親の援助」「2.保育園・幼稚園の入りやすさ」「3.両親の就労状況」「4.住んでいる地域」などがあるかと思います。東京から京都にいくことで大きく変わったのが3と4です。

 

両親の就労状況 共働き→片方働く・片方専業主婦

 東京にいた頃は共働きで、妻が正社員ですが時間的な融通が効く職種(編集者)だったので時短勤務をして保育園などの面倒を見てもらっていました(保育参観やお迎えなど)。これはとても大変で、共働きの繁忙期が重なってしまうとどうにも無理な生活に陥ってしまい、回復するために時間がかかってしまったことが多くありました。地元にいる姉夫婦はこういう時に親の援助を借りているようで、地元を離れて育児する難しさを実感していました。

京都に居を移してからは、専業主婦になったこともあり、繁忙期が重なるといった問題はなくなりました。前述のエントリーのとおり、京都に引っ越すことで生活コストを下げ、共働きではなくなったことは非常に大きかったように思います。現在は下の娘も生まれているため、東京にいた頃の育児状況で二人子育てするとなるとゾッとします。

住んでいる地域 東京・二子玉川→京都・市内→京都・嵐山

東京にいた頃は、川の近くが良い、近くに大きな公園があるエリアが良いということで二子玉川に住んでいたのですが、とても育児がしやすい町で夫婦共にお気に入りの町でした。

京都に引越した際にまずは京都市内の駅近くに暮らしていたのですが、少し不便をしました。近くには大きな公園もあり、駅も徒歩3分と非常に便利だったのですが、二子玉川との大きな違いとして川に遠いということがありました。川だろうが山だろうが良いのですが、都会とはまた違った風景が楽しめることが子どもと遊ぶ上で非常に大事だったのだと気付かされました。

いつもよく行く公園や都会の町並みは、あまり代わり映えしません。一方で、二子玉川の河川敷のようにすごく開けたエリアでは、目に入るものが非常に多く、空の色や風の強さ、人の服装など様々なものが季節ごとに変化します。子どもたちと遊ぶ身としても変化しない風景よりも、常に変化する風景の中で遊ぶことで、新しい遊びを提案するなど親として工夫がしやすかったように思います。

ちょうどその年の夏に、良いリノベーション物件が見つかったので嵐山に引越しました。これは川の近くが良い、大きな公園があるエリアが良いという理由です。さらに二子玉川にもなかった山が近い・観光地という新しい条件もつきました。

嵐山のエリアは観光地として有名ですが、すこし行くとより地元感のある嵯峨野のエリアになります。嵯峨野のエリアは豊かな田園風景に加えて、観月の名所である大覚寺後嵯峨天皇領などの雰囲気のあるエリア、広沢池といった紅葉の名所など観光客が少なく一方で季節の風景を楽しめる地域です。

30分もすれば京都の市内にいくことができ、10分もすれば観光地も有り、15分も行けば田園風景も広がる。こういうバランスの取れたエリアで暮らすことが出来るのは京都ならではの魅力だと思います。

もう1つ重要なのはどういう会社に務めるか

子育てをする父として、はてなは非常に幸せな環境です。実際に、これまで務めた会社の中でもダントツに残業時間が短いということが有ります。妻からもはてなに務めることで平日に帰ってくる時間が早くなったということを言われます。個人的に1番大きいのは、土日に寝ている時間を減らすことができるようになったことです。

平日に働き詰めていると、土曜日も昼まで寝続けるといったことが非常に多かったのですが、はてなに転職してからは土曜日も午前中には目を覚まし、外にでかけたり、子どもと一緒にテレビを見たりとゆったりと過ごせる時間が作れるようになりました。

平日、働き詰めで育児に時間を割けない分、休日にどうにか時間を作ろうとするが体力が持たない、または平日に疲れが残っている、そういう状況の父親は実は多いのではないかと思っています。そういう時は平日集中して、休日に疲れを残さない、そういう勤労形態の会社に転職するというのも手かもしれません。

 

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私は今年で29歳ですが、30という歳を京都で迎えることになるとは考えてもいませんでした。東京でつつがなく、やりたいことをやる、そういう人生を考えていたのですが、偶然、京都に来てそろそろ2年になります。この2年も東京にいた頃と同じように、つつがなく、やりたいことをやる、そういう人生を過ごせているように思います。東京とは違った京都ならではの良さも堪能でき、転がった先の人生も案外悪くないものだと感じています。

それは、はてなという会社が社員のプライベートや仕事とのバランスについて、本人の自由としている部分が大きいように思います。東京が良い部分もたくさんありますが、東京での暮らしに少し気になることが出始めたら、東京ではないどこか、または就労のバランスなどを考えてみると良いかもしれません。その際には、はてなという会社があったことを思い出して頂ければ幸いです。

 

明日の担当は、僕がはてなに入社するきっかけとなった『へんな会社のつくりかた』を編集された id:mohritaroh さんです。よろしくお願いします。

出産に合わせて退職する際に出産手当を取得する方法

新しい京都の会社(株式会社はてな)に入社して一月がたちました。退職、入社エントリーを書こうかと思いつつ、まだ情報量が足りないと思って書きそびれているこの頃です。

 

掲題の通り、里帰り出産に続き、出産退職に関してまとめてみようと思います。以前のエントリでも書きましたが27歳で2児の父となることもあり、同年代に比べて色々と経験出来ているので、誰かの参考になればと書き残します。私は、2013年12月頃に退職の意志を固め、妻とも相談して京都に行くことに決めました。結果、転職に際して、妻は退職して専業主婦になることとなりました。しかし、1点だけ問題がありました。2014年3月末には第2子が生まれる予定だったので、いわゆる社会保障としてもらえる出産関連の手当がもらえるかが不透明でした。妻は退職に合わせて引き継ぎを行いつつ、退職前最後の仕事として本を作っていたので、手続きなどを調べる時間がなく、退職前で時間に余裕があった私がかわりに調べたので、ある程度詳しく理解できたと思います。

 

退職したけど想定通りの手当は支給されそう

出産関連の手当は大きく分けて3つあります。正式名称は色々とあるのですが、Googleにひっかかるキーワードとしての分類は「出産育児一時金」「出産手当金」「育児手当金」です。今回、支給されるのは「出産一時金」「出産手当」の2つで、「育児手当」は退職前提で取得することは出来ません。(仕組み上は、育児手当もらうだけもらって辞めるとかも出来ますが、そういう考え方は余り好みではありません)

 

それぞれ簡単に説明すると、「出産一時金」は出産時に産婦人科助産院などに支払う金額を国が一定程度支援してくれる仕組みで、一律42万円の支給です(双子など特異なケースでは増額されます)。この手当に関しては、退職後半年以内であれば、前職の社会保険から支払われますので、退職時に手続きをお願いするだけで問題などはあまり起きません。ちなみに大凡の場合、42万を超えるため、一時収入として捉えるというより、負担減として捉えるのが正しいです。

 

また「育児手当」は、育児休暇中に収入が減ることを保証するための仕組みで、出産後56日くらい後から、育児休暇前の月給の1/3が復職まで最大1年程度支給される仕組みです。1点、注意点があります。育児手当は、育児休暇前の2年間で月11日以上働いている日付が12ヶ月以上あれば支給されます(出産一時金や出産手当金にはない条件です)。一人目が生まれた時は妻が働き出してちょうど10ヶ月で育休に入ったため、支給されませんでした。子どもを産むなら社会人2年目以降のがおすすめとされる理由の1つです。

 

余談ですが、このことを知ったのが、ハネムーン代わりに行った瀬戸内海小旅行中で、大好きな広島を巡っている頃です。アテにしていた育児手当(おおよそ60万円ほど)がなくなると知り、絶望したことを覚えています。育児期間はもちろん妻の収入がなくなるため、自身の給与だけで家族3人を養う必要があります。そのフォローをしてくれる育児手当金がでなくなったことで、節約生活する癖がつきました。結果、妻の復職後、家計に余裕が生まれたというオチがついているので、心穏やかに記載できますが、本件にかかわらず、子どもを作る時は気にしないけど、出産したら気づく事実は数多くありますので、少しでも本エントリーが同年代にとって参考になる情報となれば幸いです。

 

さて、話は戻りますが、前述のとおり育児手当金は復職を前提に支給される仕組みのため、退職した今回も至急自体は諦めています。代わりに京都に引っ越すことで、生活費を浮かす方向で対応しました。詳しくは以下のエントリーより↓

京都に引越したら、生活コストが200万円ほど減った - daily thinking running

 

出産退職で一番、気を付けるべきは「出産手当金」 

さて残った「出産手当金」が出産退職で気をつけないともらえない手当になります。出産手当金とは、出産育児休暇を取得することが可能になる出産予定日の42日前から実際の出産後56日まで、月給の2/3程度が支給される仕組みです。この仕組みは育児手当金とは異なり、12ヶ月以上の勤務実績は必要がなく、12ヶ月以上の社会保険料の支払いがあれば至急されるものです。

 

ただ1点、出産退職の場合に複雑な支給条件があります。それは、出産退職の場合は、出産予定日の42日前にあたる日付以降に退職し、退職日は有給などで出社していない(出産育児休暇を取得している)ことです。私達の場合は、出産予定日が3月31日のため、退職日は2月19日以降でかつ、2月19日には有給などで出社していないことが条件です。

 

出産に伴う退職の場合、妊婦の体調を考え42日前にあたる日付以降ではなく、2ヶ月前などに退職をするケースもあるようです。その場合は、出産手当金は支給されません。また、あまり多くないケースのため、会社の総務やその相談相手である社労士さんなども正確な規定を知らないことも多いようです。事実、妻の会社の総務の方に相談したところ、社労士さんからは、上記のケースでは以前は認められたが、法改正があり支給は認められなくなった、という返答がきました。(後に法改正の内容を勘違いしており、実際は支給されることが確認されました。妻の会社の総務の方は、退職する人間にも関わらず、こういった細かな確認などを行って頂けました。とてもありがたいことでした。)

 

上記の条件をみたすため、2月1日に京都に移りましたので、2月中は妻の残った有給を消化して、退職日を2月19日として手続きを行い、今は出産に向けて準備を進めています。実際に支給されるのは出産後2,3ヶ月経ったあとなので本当に問題なかったのかは未確定ですが、調査せずに2ヶ月前にやめてしまおうとしていたことを思い出すと、こういった条件を確認することはとても大切だと痛感します。

 

以上、出産に合わせて退職する際の出産手当に関してまとめてみました。もし、より詳しい話を聞きたいなどあれば、ご連絡をいただければ知りうる程度のご回答はさせていただけると思います。

里帰り出産のメリットとデメリットについて

今日、妻が実家に帰りました

前回、初出産だった時も妻の実家である長崎にて、里帰り出産をした。妻も私も実家と離れて暮らしており、飛行機や新幹線がないと帰れない。そうなると、実家に帰って出産を行う、里帰り出産が必ず選択肢として出てくる。里帰り出産はいくつかメリットがあるが、デメリットもなくはないので旦那目線で里帰り出産のメリット・デメリットを残しておこうと想う。ちなみに、1回目、2回目ともに里帰り出産になっているわけなので、メリットが大きいという話ではある。

 

初産における里帰り出産の場合のメリット・デメリット

初産は、旦那の立場からも初めての体験が多く、妻の体調や気分が月々に変容していくことにうまく適合できないことも多いと想う。それ以上に妻が精神的にも肉体的にも大変なので、不適合ではすまされないわけなのであるが、旦那の仕事が忙しいと妻が頑張るしか無いケースもある。そこで、特にどのタイミングが大変かとなると、悪阻(つわり※出産期で読めるようになる)が1番で、ついで6、7ヶ月目の仕事もしつつ体も辛くという時期が2番、出産最終期はその次あたりだと想う。

里帰り出産の多くは、いわゆす産休(だいたい予定日の2ヶ月前)のタイミングで里帰りすることになるので、出産最終期にあたる。この時期は、体調や精神的には安定しているが、いつ生まれるか分からないということもあり、最終1ヶ月になると飛行機などに載るには医師の許可が必要になる。赤ちゃんがお腹を蹴りだしていて、旦那側も子どもの命を感じられて、夫婦ともにいよいよという気持ちになっている頃である。

 

初産における最大のメリットは、初めての出産という不安が和らぐということにある。旦那の仕事が忙しいと、産休に入っても家事は休めないというケースが結構あると思う。出産間近の妊婦にとっては、洗濯・掃除などの家事は重労働に感じられるし、出産に向けてどういうキッカケで生まれてくるのかという不安などで、できれば安静に寝ていたいはずである。そういう意味では、実家に帰り実親に家事などをお願いできるのは、精神的な安寧をもたらしているはずだ。

 

一方でデメリットは、出産の立会に間に合わない可能性があることだろう。やはり里帰り出産の場合、飛行機や新幹線などの移動時間中に生まれてしまう可能性もある。飛行機で行く場合、最悪の場合はフライトがなくなってしまい、翌朝まで待つなどの可能性もある。もちろん、予定日を中心に有給などを取る方法はあるが、個人的にはその有給は出産後に使ったほうが有意義に思うし、出産日が伸びたりするリスクは高い。また、新幹線などはいつでも交通費が変わらないが、飛行機は産気づいたのに合わせてチケットを取るのは、高い交通費になる(マイル特典での購入がおすすめ)。

よく言われるデメリットとして、離れた土地で婦人科に通い直す必要がある点は、正直あまりデメリットを感じなかった。田舎の婦人科は医者数も多くないので、地元の知人に聞けば良し悪しもわかるし、基本的に婦人科のお医者さんは良い人が多いので当たりなことが多い。

 

ということで、里帰りであろうとなかろうと、立会できない可能性はあるので、初産に関しては、可能なら里帰り出産することをおすすめする。

 

2回目の里帰り出産は、保育園との兼ね合いがポイントに

2回目は様々な観点から里帰り出産するか否かを妻と一緒に悩んだ。メリットに関しては、初産同様に不安を和らげる効果は間違いない。一度、出産を経験したことで、里帰り先のお医者さんに関する不安はない。では、何を悩む必要があっただろうか。

 

1番は長女の保育園をどうするかである。東京は、待機児童で溢れかえっており、保育園に入るための保活と言われるようにな活動もあるらしい。そのため、どの保育園も限界まで園児を受け入れている。つまり、限界まで受け入れているのに、里帰り出産に長女がついていくことで、保育園に一定期間、空きができるわけである。

そのため、待機している母たちに対して説明するためにも、基本的に休園は2ヶ月程度と定められていることが多い。前述のとおり、里帰り出産は産休に入るタイミングからいくことがおおく、もし仮にこれがギリギリで行く場合は、医者の許可が必要になるため、最大でも前後1ヶ月ずつしか里帰りできないことになる。

ここで、議論が生まれるのである。出産後1ヶ月では、体力が回復しておらず、娘二人と家事を行うことの負担に対して、妻は不安を覚える。とはいえ、保育園を退園することは出来ないので、1ヶ月超えることもできない。ということで、東京の病院も探して、具体的に比較をしてみようという話になった。

 

長崎の方が東京よりも出産費用が20万円ほど安い

そこで、驚愕したのであるが東京(世田谷区)の病院は、長崎で有無より20万円ほど高く、しかもサービスが悪い。長崎はすごいきれいな助産院なのだが、出産後に1週間ほど個室で家族3人で暮らすことができて42万の出産一時金(全員支給の国の補助)の範囲内である。

一方で、東京は有無だけでも50万円かかり、更に出産後3日以上入院する場合は別途費用が必要で、個室にするのも費用、家族が泊まるにも費用(止まれない場合もある)、、、。長崎と同じサービスを受けようとすると、安いところ(汚い)で60万円、高いところで80−100万円かかることがわかったのである。こうなると、長崎で産むほうが優れたサービスを安価で受けれるわけで地方のほうが都心よりも優れている良い例だなと思った。

 

2回目も里帰り出産に決めたのはお金がポイントでした

そこまで調べた上で、保育園に関しての対策方法が発覚した。保育園は「連続で」休めるのが2ヶ月であるとのことで、2ヶ月休んで1日登園すれば、また更に2ヶ月休むことができるかもとのこと。それであれば、大人2往復分の飛行機代で済むわけで東京で出産するよりもコストは安い。

そうなると地方で出産することのメリットと里帰りであることのメリットがデメリットを上まったと判断して、長崎の助産院に予約を入れた。その後、旦那の転職と引越し、それに伴う妻の退職、娘の退園となったため、上記の悩みは特に悩む必要がなくなった。

2回目の里帰り出産の最大のデメリットは、愛娘(長女)と3ヶ月も離れて暮らすこと・・・。ただこの時代は、FaceTimeもあるし、SkypeやLINEといった手段もあるので少しは和らげる方法がある。娘はケロッとしていて少しさみしい気持ちにもなるのはご愛嬌。

 

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27歳という段階で2回、出産を経験していることは周りと比べても、やや早めなことが多い。今後、多くの友人が出産を経験するなら、こういうネタは参考になると思うので、書いておこうと思った。ただ、妊娠期を通して妻は母になるが、出産しないと旦那は父にならないので、こういうのは出産前には特に意味のないことかもしれないけれど。

京都に引越したら、生活コストが200万円ほど減った

京都に引越して20日弱経ちました

今年の4月に消費税が3%上がって、更に2年後に5%上がるらしい。仮に年間400万円×5%=20万円の消費税を払っていたとする※本人とは金額に因果関係はございません。これが倍になるわけで、年間のコストが20万円ほどあがるらしい。これを吸収するには、月1.5万円強ほど安くなれば良い。

そこで「京都」である。私の実体験では家賃は年間で60万浮いた。さらに就職先に恵まれたので、なんやかんや食費が年間25万ほど浮きそうである。東京に戻る気にはなれないのが今、現在の正直な気持ちである。

 

家賃が60万円浮いた理由

3月に二人目の子供が生まれるらしいとわかったのは9月頃、家を引越さねばならないことになった(前の家は2DK)。4人家族で2DKは狭いと感じていた。広いリビングがあれば、3歳になる娘も喜んでくれるはずだ。保育園は気に入っているし、できれば保育園に通いやすいエリアに住みたい。

と意気込んでみたものの、二子玉川の駅徒歩10分、2LDK以上(60m平米以上)を探すと15万/月を超える。そもそも物件がないという状況でもあった。持ち家で育ったため、どうにも年200万円近く住居費に支払うことに違和感を感じていた。

引越しを考えだした時期は、ちょうど京都に行くという選択肢が出てきた頃で、家賃の安さが非常に魅力的だった。面接の際に、京都と東京の賃料の違いを聞いたところ、30%ほど安くなるのでは、という話を教えてくれた。15×12=年180万円の30%ということは55万弱ほど浮くということである。

 

部屋探しをすると、実際は50%家賃を減らすことが出来た

最終的に決めたのは、駅・スーパー・公園に徒歩5分、スタバ付き大型TSUTAYAに徒歩10分、イオンモールまでバスで10分、会社まで自転車15分、そして世界遺産(!)に徒歩15分のマンション。希望していた広いリビング16畳+和室6畳の2LDK(60平米)でリフォーム済み。

 

家賃は10万。

 

最初、物件を見た時は信じられなかった。(ちなみに8.5万で同様のサイズ、ただし駅まで10分という物件もあった)。東京の感覚で言えば、10万なんて信じられない。これが京都かと少し感動した記憶がある。

 

配偶者の再就職を考慮するとマイナス?プラス?

ただし、共働きの家庭では、奥さんの再就職などの関係があり、収入源の可能性もあるため、一概に収支が改善するというわけではない。しかしながら、専業主婦になることで、保育園のお金もかからなくなった(年間50万円の節約)し、扶養家族になることで国民年金や健康保険料の支払い免除や所得・住民税控除(年40万くらい?)もある。外食が減るので食費も(年25万ほど)減りそうである。

 

※余談ではあるが、今回、妻が専業主婦になったことで家事・育児の余裕が生まれて、すごく暮らしやすくなった。もちろん、転職と引越しを支えるために、色々と気遣いをしてくれているからもある(ありがとう)。この精神的な対価はプライレスと言えそう。

※更に余談であるが自転車生活と健康的な食生活により体重が3kgほど減少した。健康的な生活もプライスレスである。

 

はてなって良い会社だと思った(主に節約的な意味で)

家賃と妻の専業主婦化により180万円ほど浮かすことが出来たが、更に嬉しいのが会社の手当である。転職先の「はてな」では、月曜から金曜の昼飯(うまい)が支給される。更にお菓子やコーヒーなどの飲み物もタダであるため、一日1500円(年間35万ほど)の節約に繋がる。

その結果、年間215万円の節約に成功(予定)。時短で働く奥様や東京の狭い賃貸に暮らすなら、ゆったりとした京都で暮らすのも悪くない、と20日経ったところで感じている次第です。

 

以上、株式会社はてなでは、京都に引越して節約をしたい、東京の人材を募集しております。どのような会社か関心がある方はご連絡をいただければ、東京出張のついでなどにでもご共有させていただきます。

↑会社に確認取らずにこれ入れてみたけど問題ないだろうか‥(個人的に株式会社◯◯では〜というのがやりたかったために本エントリは書きました)